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2005/09/15

続・コーヒー・ブレイクでも…

中学生、高校生という年代は、悩み多き年頃でもあり、高校入学後すぐの悩みは「部活をどうするか?」でした。当時、野球少年であった管理人はあの甲子園でプレーできる高校野球に憧れていました。野球部に入るつもりでいたのですが、ここでまた「自分の夢」とのコンフリクトが生じます。

つまり、野球部で朝から晩まで練習していると勉強時間がなくなり、希望する学部(管理人の場合は法学部)への進学に支障を来たすのではないか?という危惧。この危惧が決定的となり、野球部への入部を諦めました。そして、何のクラブに入ったかというと…。

「法律学研究部」。全国何千とある高校の中でこんなクラブは他にあるでしょうか?何とも固く、暗いイメージがしませんか? 今なら「オタク系」とでも言われてしまいそうな…(笑)。

実情は全然そんな雰囲気はなく、文化祭でも模擬裁判をしたり、夏休みに合宿に行ったり、裁判傍聴したりとなかなか充実したクラブ生活でした。因みに、同級生で1年生のときから野球部のレギュラーで2年生のときは夏の予選で地区大会ベスト4まで進出し、なおかつ成績は学年で1番という「神童」がいることを知り唖然とした思い出がありますね。自分は勉強に差し障りがあるから野球部に入らなかったのに、あの過酷な練習をしながら勉強もできる、まさしく「神童」だと(自分にチャレンジ精神がなかったなと痛感した次第です---己を知っていたからだよ、なんて屁理屈も言えますが)。彼とは3年間一緒のクラスになることはありませんでしたが、廊下で顔を見かけるたびに尊敬の眼差しをもって見ていました。まあ、縁とは不思議なもので、大学入学後のゼミで何とその神童と一緒になりました。彼とはそれ以来の付き合いになっています。もっとも、彼をよーく知るようになってからはもう「神童」の尊称を与えることはありませんでしたが(笑)。それでも管理人にとっては尊敬すべき人物の一人であることに変わりはありません。

かなり脱線してしまいましたね。えーと、高校はかなり英語(あと国語)に力を入れていた学校でした。英語の施設も充実していましたし、アメリカの高校への交換留学制度まで用意されていました。高校2年のある日、担任の先生に呼ばれました。「実は、今年度の交換留学生の候補として君を考えている。少し時間をあげるので考えてみてくれ。」と。えーっ、何でオイラが。確かに英語の成績はそこそこでしたが、好きではありませんでした。むしろ、日本史や現代文、古文、それに政治経済という類が得意科目でした。「時間を与える」とのことでしたが、答えはもう出ていました。「交換留学はNO。法学部に進学して司法試験の合格を目指すので。」という理由。別に留学しても法学部に行き、司法試験を受ければ良いわけで、全然理由になっていませんよね(笑)。

もっと大きな理由は、クラスメートと1年遅れになるのが厭だったんです。仲の良いグループに入っていましたし。要するに留学して帰国するともう1年、高校2年生として生活しなければならない。仲間が3年生のときに自分は2年生として誰も知らないクラスに入ることになる、これにとても抵抗がありました。思春期真っ只中の年頃の男子にあって、この「1年間」は人生を左右するように感じたんだと思います。その頃の1年と今(もう中年期ですよね…)の1年では、1年の重み、感じ方、受け止め方にやはり違いがあるんでしょうね。両親は留学を進めましたが、管理人は頑なに拒み、担任の先生にお断りをしました。うーん、今考えると本当に惜しかったですね。だって、何てことはない、それだけ1年の遅れを気にしていながら、大学で1年間留年しているのですから…。「状況が違うよ」と言えばそれまでですが、でも笑っちゃいますよね。あのとき、留学していたら…。恐らく違う人生を歩んでいる自分がいるんでしょう。「人生の岐路」って、自分では気がつかないところにも結構あるんでしょうね。いずれにしても高校時代も決して英語が得意になるわけでもなく、好きになるでもなく、むしろその逆だったと思います。できることなら、英語とは関わりたくない、これが本音でした。

いよいよ大学入学です。本来ならば、ここででも悩んだ挙句、「自分の夢」を実現すべく、華やかなサークル活動には参加しないで勉強一筋!という選択肢をチョイスする筈でした。が、女子禁制の男子校3年間の反動は大きく、また悪友(とは言うものの、今では家族ぐるみの付き合い)からの誘いにも抗しがたく、なんとテニスサークルに入会してしまいました。自分への理由(言い訳)は、「2年間は思いっきりテニスに打ち込んで、残りの2年間を心置きなく試験勉強に集中する。」というもの。要は自分に甘いんですよね。途中で挫折することが多いんです。しまいには「今日できることは明日やる」という思想にに繋がってしまったんですね。

大学の最初の2年間は教養科目として英語がありました。推薦枠で入学した管理人は大学受験を経験していません。絶対的な単語力不足。それに派生する読解力のなさ。生来の面倒くさがりが辞書を引くという作業さえ面倒に感じさせます。横着をするので、ますます英文が理解できない(或いは、間違った読み方をする)、テストの成績はどんどん悪くなる…、デフレスパイラル、よろしく「負のスパイラル」状態です。それでも英語の先生に恵まれた(?)のか、単位を落とすことはありませんでした。2年次の成績を見たときにまず思ったのが「これでもう英語の勉強をしなくてもいい。」ということでした。司法試験には英語の試験がありません(一次試験から受験される場合は別)し、自分は法曹以外になるつもりはなかったもんですから、もう英語は自分の人生には不要だと思った訳です。それ以降、留年の1年を含めた3年間、試験勉強(らしいこと)を続けましたが、結局、試験に合格することはできませんでした。この結果に至るまでの分析は自分なりにしていますが、これはここでの本題ではないので、置いておきましょう(大した分析ではないです…)。

これ以後については、このブログの「英語との闘い(夜明け前)」から始まる本編へと続きます。ちょっとした「ブレイク・タイム」にするつもりが、思いがけず長くなりました。次回からは再び、本編に戻ります。どこまで連載し続けることができるかわかりませんが、頑張れるところまでやってみたいと思います。そうそう、ロースクール留学を通じて、大概のコトに対しては恐れを抱かない(ちょっとやそっとのことでは動じない)ようになったことは、予めお伝えしておきたいと思います。恐らくそれはあの過酷な授業と試験を乗り越えたことによって得られた「自信」の賜物と思っています。

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